明朝体の縦画の終筆の角度はおかしくないか?―その後 | ||||||||||
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小駒さんからのメール
新潮社の小駒さんから以下のようなメールをいただきました。 --------------引用ここから-------------- 新潮社の小駒です。 --------------引用ここまで-------------- 小駒さんがおっしゃる「不」の縦画の終筆というのは、左の「図1」のようなものです。これは最終画に筆を進めるために筆が左に流れたものと思われます。明朝体の縦画の終筆にこのような特殊な例が採用されたとはどうしても思えません。 |
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図1 | ||||||||||
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大熊の推測
ではどうしてこうなったのか? 明朝体は宋時代の木版を元に欧米人が完成させたので、欧文を書くのと同じように平ペンで縦画を書いたとします。すると縦画は「図2」のようになります。そこで木版を見ると「あれ? 筆の入る角度が反対だ」と気付きます。ところが筆の終わる角度も反対だったことには気付かなかったとしたらどうでしょう。 現在の明朝体のようになるでしょう? |
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小宮山博史さんに聞いてみる
そこで、近代印刷史研究の小宮山博史先生に迷惑は承知で電話をかけました。 先生に上記の推測を話したところ、 「面白い推測だけど、宋時代の木版や明朝体の元になったと言われている『一切経』を見ても縦画の終筆は明朝体と同じ角度になってるよ。」 とおっしゃいました。 謎は深まるばかりです。 中国人も木版の版下を平ペンで書いていた、なんてことはないですよね。 |
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図2 | ||||||||||
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