明朝体の縦画の終筆の角度はおかしくないか?―その後
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小駒さんからのメール

新潮社の小駒さんから以下のようなメールをいただきました。

--------------引用ここから--------------

新潮社の小駒です。

「明朝体の縦画の終筆の角度はおかしくないか?」を読ませていただきました。
 とても面白い視点だと思いました。
「おお、そうなのか」と感動して手元の『唐楷書字典』や『書道字典』をひっくり返して見たところ、ちょっと違う例が目につきました。
 私は専門家でも何でもありませんが少しつっこませていただきます。

 いまざっと眺めたところ、楷書体の縦画の終筆には3通りあるようなのです。
 一つは「下」のような左が短く右が長いもの。これは「にんべん」の2画目や「雨」の左の縦画など字の左側に位置する場合が多いような感じです。
 第二は左右が短く中央がとがっているもの。これは中央の縦画に現れるようです。「中」「常」「平」「年」「雨」などの中央の縦画は多くがこれのようです。
 第三は明朝体風に左が長く右が短いもの。これは少数派のようですが「不」の縦画に比較的よく出てきます。
「不」の縦画ははねているんだろうかとも思いましたが、はっきりはねている「木」「子」「外」などとは明らかに違うようです。

詳しいことはよく判りませんがまずはご報告まで。

--------------引用ここまで--------------

小駒さんがおっしゃる「不」の縦画の終筆というのは、左の「図1」のようなものです。これは最終画に筆を進めるために筆が左に流れたものと思われます。明朝体の縦画の終筆にこのような特殊な例が採用されたとはどうしても思えません。

図1
大熊の推測

ではどうしてこうなったのか?
自分なりに推測してみました。

明朝体は宋時代の木版を元に欧米人が完成させたので、欧文を書くのと同じように平ペンで縦画を書いたとします。すると縦画は「図2」のようになります。そこで木版を見ると「あれ? 筆の入る角度が反対だ」と気付きます。ところが筆の終わる角度も反対だったことには気付かなかったとしたらどうでしょう。

現在の明朝体のようになるでしょう?

小宮山博史さんに聞いてみる

そこで、近代印刷史研究の小宮山博史先生に迷惑は承知で電話をかけました。

先生に上記の推測を話したところ、

「面白い推測だけど、宋時代の木版や明朝体の元になったと言われている『一切経』を見ても縦画の終筆は明朝体と同じ角度になってるよ。」

とおっしゃいました。
ガ〜ン。そうだったのか。

謎は深まるばかりです。

中国人も木版の版下を平ペンで書いていた、なんてことはないですよね。

図2
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